系譜
流祖は戸田清眼(富田勢源ともいう)越前福井の戦国大名朝倉義景家臣で約四八〇年前の人である。富田家は名人達人の遣い手を輩出したため、中条流の本流を継いで富田流と称されるようになった。
流儀は越前から北武蔵に移り、小田原北条氏三代、氏康の三男で埼玉寄居の鉢形城主北条氏邦と夫人大福御前に伝えられた。氏邦は北条氏勢力の北辺を守っており、豊臣秀吉の小田原城攻めに伴って鉢形城も落城した。
道統は家臣の強矢弾正維行が四代を継ぎ、十三代 良輔武行まで剣と薙刀が強矢家で守り伝えられた。甲源一刀流紀州家指南役として活躍した武行は、晩年武甲山麓に過ごして武甲斎と号し、戸田系武術の薙刀部門を専門に戸田派武甲流と称して、十四代を名乗った さと夫人と共に、薙刀術としての武甲流を大きく発展させた。その後、十五代から十九代まで女性が代を継承し、二十代 中村陽一を経て、二十一代 建入久代に伝えられた。
[戸田派武甲流の正系統図]
流祖:戸田清眼 - 二代:北条氏邦 - 三代:大福御前 - 四代:強矢維行 - 五代:強矢弾正頼行 - 六代:強矢継利 - 七代:強矢維明 - 八代:強矢庸勝 - 九代:強矢頼忠 - 十代:強矢忠賀 - 十一代:強矢継政 - 十二代:強矢継賀 - 十三代:強矢良輔武行 - 十四代:強矢佐登夫 - 十五代:小松崎古登夫 - 十六代:矢沢勇夫 - 十七代:村上秀雄 - 十八代:小林清雄 - 十九代:新田寿々雄 - 二十代:中村陽一 (武陽館初代館長) - 二十一代:建入久代(武陽館二代館長)
流儀の特徴
- 戦国時代の甲冑武術である。甲冑着用の武器操作が技の根底をなし、防備の薄い部分を狙って薙ぎ上げ突き入れる。
- 薙刀の有効な間合いを保つために、手の通いと足捌きに厳しく、素早い体捌きにより刃と石突を駆使する。
- 武甲流の根幹は合薙刀(薙刀 対 薙刀)であり、太刀合・鎗合・鎖鎌合で基本の体捌きを身に着ける。その後他流にはない鍵付薙刀太刀合・鎗合の技法を学ぶ。
武甲流の武器
上から鎗、鍵付薙刀、薙刀、棒、太刀、鎖鎌
武甲流の型
合薙刀1本目:飛乱
合薙刀7本目:引落
宗家
戸田派武甲流薙刀術二十一代宗家 建入久代
武陽館二代館長
[プロフィール]
明治大学文学部史学地理学科考古学専攻 卒業
ル・コルドン・ブルー 卒業
江戸懐石近茶流 正教授
合気会公認 城下町合気道(小田原道場) 代表
戸田派武甲流薙刀術 武陽館2代館長
戸田派武甲流薙刀術 21代宗家
東日本古武道連盟 会長
[商標登録証]
戸田派武甲流薙刀術(登録第5714462号)
武陽館道場(登録第5685624号)
宗家相伝の証
戸田派武甲流薙刀術は18代小林宗家の時代より薙刀が受け継がれ、代々の宗家の薙刀を所持することが宗家の証とされて来た。
現在、18代、19代、20代の薙刀を相伝されている。
(上)18代 小林 清雄 宗家薙刀
(中)19代 新田 寿々雄 宗家薙刀
(下)20代 中村 陽一 宗家薙刀
20代宗家巻物
21代宗家巻物
戸田派武甲流宗家之印
新田寿々雄宗家より拝受
武甲流立看板
新田 次良 書
スケジュール
当会役員
代表(宗家)/武陽館館長/建入 久代
武陽館副館長/永埜 浩司
指導者/本多 日向子
埼玉支部長/小野 貴史(武甲流HP作成管理者)
事務局長/福永 護
顧問/新田 茂(19代新田宗家御子息)
顧問/中村 瑞恵(20代中村宗家令夫人)
顧問 脇田美幸(株式会社オーバル 取締役)
相談役/秋葉・高橋法律事務所 弁護士 高橋 省